アポリア

今回は真面目にいきます。。。

幸い、なるべく自由に生きているという実感もあり、自らが興味を持ったことについて探求できるくらいには環境と自らのバイタリティーが揃っていたと感じます。

さて、今回は今期のアニメでもある"チ。-地球の運動について-"を見て、知(チ)について考察してみたいと思いました。本作では"知"の他にもたくさんの"チ。"が散りばめられている秀作です。是非ご覧ください。

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(出典:TVアニメ「チ。 ―地球の運動について―」公式

知識と言われるとクイズや雑学に代表されるような知っているか否かという基準で測られることの多い指標だと思います。しかし知識というのは少なからず知っていても知らないに等しいことがあったり、その逆もあったりすると思います。私が専攻していた心理学はまさにその筆頭で、たとえ用語を暗記していたとしても、その用語の存在意義を掴めていないと臨床の場面において無駄になってしまったりすることが多々あります。一方で臨床だとむしろ知識よりも体験を重視すべきだと思う人もいるでしょうが、特に精神疾患のある患者を相手していると自分のみを基準にするということが如何に高リスクであるかも想像できるでしょう。いくら相手の立場になって考える、優しいふるまいをする、と意識していても人間の心の仕組みについて、特に個人差の大きい仕組みについては知識がないと大きな齟齬を起こしたまま臨床心理学という学問を治めてしまうリスクをはらんでいます(心理学者でさえ重度うつ病患者に「気のせいだよ」や「あなたは悪くない」と言うことが多いように)。

もちろん知っていたとしても、思考できねば知っていると言えるのかどうかも分からなくなっていきます。これは公式を覚えていても問題が解けないことの多い数学がよく当てはまるでしょう。

このように知るという行為は実に奥が深く、掘っていけばいくほど自らを自らで試さねばならないようなハードルがあり、決して楽なことではない気がします。しかし同時に白紙の世界地図を広げ、足跡を足していくような好奇心をくすぶる要素が混ざっていることも確かです。

それでいうと現在私は一年目の社員なりにITという領域をできる限り探検しています。そして時に立ち止まって本当に"それら"について知っているのか自問します。こうしているとあらゆることが有限な世の中で唯一この営みだけは無限なのではないかと感じます。ほかに無限があるとしたら宇宙くらいじゃないでしょうか。