社会人になっても朝マックが食べたい
朝マック。徹夜明けにしか食べたことがないから"朝"マックなのか分からない。
明日からお盆休みだという金曜の仕事終わりから徹夜カラオケをして、身体がボロボロになりました。それでも徹夜明けに食べた一蘭のとんこつ味を忘れることはありません。
一蘭と朝マックは朝5時から食えるメシの筆頭であり、朝マックに限っては徹夜明けにしか食べたことがありません。誕生日にしかホールケーキを食べないように、徹夜明けにしか朝マックを食べません。だからなのか、"朝マック"や"一蘭"という言葉に触れると、早朝の空の淡い青色と気怠い身体感覚が呼び起されます。知らぬ間に独特なニュアンスを帯びているのです。だから極端な話、私からすれば「朝マックが食べたい」と言うことは暗に徹夜で遊びたい、という意味に変わっていきます。「一蘭食べたいな」も夜遊びがしたいな、という含みのある言葉に聞こえてしまうのです。言葉に対するイメージを自分が勝手に決めているから、そのイメージに言葉の意味まで持っていかれそうになることがあるのです。
昔からX(旧Twitter)では「女性が言う大丈夫は大丈夫じゃない」という文言をよく拝見しますが、私は男女関係なく「大丈夫です」という言葉自体に「大丈夫じゃない」という含みを持たせてしまうため、相手が「大丈夫」と言うと(でもほんとは大丈夫じゃないんだ)と思う、厄介な性質を持っています。誰か本当に大丈夫なときの言葉を作ってください。でもどうせ本当に大丈夫なときの言葉もいつかは大丈夫じゃない含みを持ってしまうのでしょう。いたちごっこ確定です。「大丈夫」や「余裕」のように状態を表す言葉は自覚できないことも多いので言葉としての機能を持たなかったり、むしろ反対の意味に受け取ってしまうことがありますよね。言葉だけでは伝わらないこともあるということを痛感します。
意思疎通の最低条件として報連相が代表されるように言葉で伝えるというのはもちろん、ノンバーバルな意思疎通も兼ねて、
"報連相蘭(ホウレンソーラン)"
報告、連絡、相談、一蘭を新たな略語として提唱し、記事を終わりとさせていただきます。
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