逆コナンやねんな

きっとあなたも、そうやねんな

おはようございます。おとぎばかりと申します。

突然ですが最近、飲み会にて私たちが話していたことを敢えて共有したいと思います。

まず、芸術専攻の大学院に通う友達の申し分はこうです。

「俺らは未だにこうして馬鹿言い合っては下らない妄想ばかりして、その妄想を創作やら芸術やらと呼びながら遊んでる。小学生にでも通用する汚い言葉でまだ笑えるし、理想を話し始めたら働きとうないやら宝くじ当てるやら異能力に目覚めるやら、とにかく幼稚で、でもそんな幼稚さを俺たちは感覚的に理解できてまう。なんも変わってないよな、子供の時から。なんも変わってないのに、もう身体は大人で、社会人になろうとしてて。大人やのになんも変わってない」

対して私は

「ああ、逆コナン、逆コナンみたい。頭脳は子供で体は大人。迷探偵逆コナンや」

そう、私たちは逆コナンだったのです。コナンに憧れて頭脳明晰を志して大人になったのに、待ち受けていたのは逆。世の中は普通に残酷です。

それからは「幼児期の頃、黒づくめの母親に背がおっきくなる薬を飲まされたから、俺はまだ6歳なんだ」だの「俺は工藤旧一」だの、「真実はいつも八百万だ」だの、お互いによくわからないことを発しながら、その会話は終わりました。

さて、私は小学生のときから漠然と大人になったら理性的で合理的になると思い込んでいましたが、結局は人格に抗えないのか、私自身は大人になったとて、社会人になったとて精神年齢が上がるわけでは決してなくて、公私の分別はあれど私は私のまま。広い場所にいると鬼ごっこがしたくなるような子供のままなのです。それでもこうして必死に研修をして、おこちゃま社会人として働けています。正直めっちゃ社内で鬼ごっこしたい。かくれんぼもしたい。そんな欲求を抑えながら働けるほどには大人なのかもしれません。

おそらく、全逆コナンが逆コナンなりに頑張っています。

つまり、逆コナンは逆コナンとして堂々と生きましょうということです。

大人のふりをして生きていきましょう。それだけでとても立派だと思えます。そして我々逆コナンが大切にすべき真実はいつも一つ。異能力に目覚める可能性をあきらめないことです。